スタッフコラム

大切な家族と価値観を分かち合うということ

By 2018年10月17日 No Comments

こんにちは、スタッフの石井菜美子です。

私がスタッフになったきっかけと、父親を初めて講演会に呼んだ時のことを書かせていただきます。

講演会のテーマに「分かち合い」があります。

どんな体験も誰かと分かち合ってこそ、本当の豊かさが手に入る。細金さんはいつもそうおっしゃいます。

私は、父を講演会に呼んだことで、改めて大切な人と価値観を共有することの大切を痛感することができました。

講演会に参加する前の私

2013年1月。小学校教諭6年目が終わろうとしていた頃。

今思えば、私は何か刺激を求めていたんだと思います。

小学校教諭の6年のうち、最初の3年間はタイで過ごしていたのですが、タイでの生活が楽しすぎて、日本に帰ってきてからはずっと悶々とした日々を送っていました。

タイでの小学校教諭生活をENJOY!

タイの日本人学校の先生方は、日本全国から選ばれた精鋭の先生方。

先生として子どもたちから慕われ、人としての魅力がある方ばかり。
向上心があり、日々授業を良くしようと研究されている方ばかりでした。

素晴らしい先生方に劣らないように、わたし自身も勉強の日々でした。
そんな先生方と一緒に仕事ができることが、楽しくて楽しくて仕方なかったです。

そして、週末は、異国タイでの生活をエンジョイ。
日本のお給料をもらいながら、タイの生活は日本の物価3分の1。

住むところも、食べるものなども、かなり贅沢できましたし、週末は、タイ国内旅行に行ったり、タイ語を勉強したり、タイ舞踊を習ったりなど。豪遊生活♪

本当に、充実した社会人3年間。
正直、帰りたくなかった・・・

日本に帰ってきて感じたギャップ

3年間の任期を終え、日本に帰国。
地元の横浜市で小学校の先生になりました。

大学で教育学部を選んだときから、横浜市で小学校の先生になることを決めていたので、地元横浜で教員生活を送ることも楽しみにしていました。

しかし、ここで私は想像をしなかったタイ時代との大きなギャップを感じることになります。

憧れる先輩がほとんどいない・・・

そこには公務員という特性ゆえの、昔ながらの慣習を大事にして新しいチャレンジを受け入れない文化がありました。

横浜市の教師(公務員)になったということは、60歳までの職が確保されたということでもあります。

わたしの今までの人生では、常に「留学する」「海外で働く」など、何らかの目標をもって生きてきたので、そこから何を目標にしていいのかわからなくなってしまったんです。

目標をもてずモヤモヤしながら過ごした日本での教師生活が3年経とうとしていた頃、友人から人生戦略セミナーに誘われました。

初めて人生戦略セミナーに参加した時のこと

講演会に参加した時の話

講演会の二部で細金さんと

小中高大と進学してすぐに学校の先生になったわたしにとって、細金さんが初めて間近で会う経営者でした。

初めて参加した時の感想は

  • 「世の中にこんな人がいて、こんな世界があるんだぁ・・・」
  • 「日本のこと、経済のこと、知らないこといっぱいだな・・・」

というものでした。

しかし、聞いただけでは何も変わりません。

「このままではダメだ、行動を変えなきゃ!まずは、付き合う人を変えよう!」と思い、講演会に連続で数回参加することにしました。

そうして段々と付き合う人が変わり、価値観が変わり・・・

なんと講演会を聞いた半年後に、7年続けていた教師を辞める決断をしたんです!これには自分でもびっっくりしました(笑)

初めて親に進路を反対された

公務員の給料がなくなる怖さと、これからの未来への期待。
悩みに悩みましたが、最後は自分の道を歩むことを決めました。

「教師を辞めようと思う・・・」と、そう親に伝えたとき、親は驚き「もう一度考えてみたら」と言われました。

わたしが留学するときも、海外で働くと決めたときも、これまで自分の進路について反対されたことはなかったのですが、その時初めて「考えてみたら・・・」という言葉で反対をされました。

教師をやめた後の選択肢が、起業という道。
親からしたら、心配で仕方がなかったと思います。

ただわたしは昔から頑固な性格で、反対しても考えを変えることはないと分かっていたので、最終的には賛成も反対もされないまま、教師を辞めることになりました。

講演会のスタッフになってから

講演会初参加時の石井菜美子

今では司会をやっていますが、この時は外の誘導を任せていただきました

教員生活7年。

一生続けると思っていた教師を辞めてしまうくらいのインパクトを与えてくれた人生戦略セミナー。

そんなきっかけを与えてくれた講演会だからこそ、今度はきっかけを与える側にまわりたい!との思いで、講演会スタッフを希望しました。

最初はスタッフの人員が足りているから・・・と断られたものの、細金さんに会うたびに思いをぶつけ続け、講演会に出会って約一年後、晴れてスタッフの座を勝ち取ることができました。

ただ仕事をやめてからというもの、親と仕事の話は一切していませんでした。
正直わたしがどんな仕事をしているか、全く分かっていなかったと思います。

年末年始に実家に帰ると、「教員に戻る気はないの?」って、毎年聞かれていました・・・。

父が講演会に初参加!

そんなある日、父が偶然わたしのブログを見て、電話をかけてきました。

「お前はブログを書いているのか?なんか楽しそうだな!一体、今何をしているんだ?」

突然の電話に唖然としてしまいましたが、「何をしているか話すから、まずはわたしの人生を変えた講演会に来てほしい」と伝えました。

そして、独立4年目にして父親が講演会に初参加。

普段は、講演会のスタッフとして、司会をしたり全体総括をしたりしているのですが、この日は偶然にもわたしが運営に入らない女子禁制の男性限定講演会だったんです(笑)

自分の運営する会に呼ぶべきか迷いましたが、とにかく早く聞いて欲しかった。
その日は父を会場まで見送り、わたしは講演会が終わるのを会場の近くで待ちました。

終わった後、2人で食事に行き、感想を交えながらいろいろ話をすることができました。

大切な人と価値観を共有するということ

父が講演会を聞いて、一番心に響いたのは「時間の使い方」だったそうです。

実は、大学生の頃から母が入退院を繰り返していて、正直いつまで生きられるかわかりません。

父は、すでに定年退職をしてますが再雇用で仕事をしています。

仕事は好きだけど、本当に忙しい毎日。

母と残りの過ごせる時間を考えたら、今のような仕事スタイルで、今の時間の使い方で本当にいいのか・・・と考えさせられたそうです。

もっと母と旅行に行ったり、一緒に過ごしたりする時間を作ろうって思ったそうです。

自分の人生の転機になった場所で、父が自分の人生について本気で考えてくれたことが、私にとってはものすごく印象的でした。

また、「小学校の先生を辞めて、何をしているかわからなかったけど、今本当にいい仲間に恵まれて楽しそうだね。」って言ってもらえたのが何よりも嬉しかったです。

父が講演会に参加してからは、「いつ小学校の先生に戻るの?」って質問をされなくなりました笑

初めて父を講演会に呼んだときはどんな反応になるのかドキドキしましたが、今は来てもらって本当に良かったと思っています。

自分の生き方を、親に応援されているのってとても幸せなことです。

大切な家族と、大事な価値観を共有できるのっていいなって改めて思いました。

講演会のテーマは「分かち合い」です。

わたしはこれからもスタッフとして、来てくれたゲストの方々が、その大切な人たちと価値観を共有する場所を提供し続けていきたいと思っています。

石井菜美子

石井菜美子

23歳で、ネパールに1年間交換留学。大学卒業後、タイの日本人小学校で3年間勤務。海外在住中、東南アジアを制覇! 帰国後、横浜市の小学校に勤務。教師生活7年を経て、「世界と日本をつなげたい!」との思いで株式会社ARCROSSを設立。

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